『龍が如く6 命の詩 』をついにクリアしました。
桐生一馬最終章という事で、全ての龍が如くシリーズをクリアしてきた私としては正座しつつクリア。感動した! のですが、Amazonレビューなどでも酷評があるように、ちょっとやっぱり気になる部分もあるという所をまとめてみました。
ここから先はネタバレ有りなので、まだ未プレイの方は読まない方がいいですよ。
ゲームとしては面白いが、なんだかスケールダウン
私自身はそれほどアクションが得意でも無い為、龍が如くは全クリなものの、基本的には痛快さが体感できればそれでよく、ストーリーを追う為のスパイスのようなものと思ってます。だから壁際での挙動がどうこうというのはどーでもいいのです。が、ヒートアクションはハンパなく少なくなったのは残念なところ。
また、神室町では賽の花屋に行くための道路がずっと工事中で神室町が狭くなった。そのうち解禁されるのかなと思ったらそのままエンディング。尾道もそれほど大きいわけでも無く、全体的に行ける場所が狭くなってしまった。
それに伴ってか、サブストーリーも減少。神室町/尾道合わせて50個しかない。このうち5個はキャバ嬢のストーリーで若干手抜き感がある。(以前の龍が如く0は100近く) それでも「小野ミチオ」くんや、ムナンチョヘペトナス教の話、YouTuberっぽいストーリーなどなかなか笑わせるものは多々有り、それだけに「もっとボリュームを!」と言いたくなるのです。
遙がチンピラとできちゃったとか失望すぎるが、、、
まぁー肝心なのはここでしょうね。私も含め、みなさんが気にいらないのは。ハルトの父親は誰だというのが「龍が如く6」前半最大のテーマでした。が、遙は勇太と1度だけ、しかもなりゆきでやっただけで出来ちゃった子という・・・親代わりの桐生ちゃんも私も受け入れられない事実を前にめまいがしました。しかも勇太は「たった一度だけだったし、俺の子だと思わなかった」と生々しい
ゲス発言をします。それだけで「藤原竜也コロス!」と殺意が芽生えました。その後勇太は成長はするものの、この一言を挽回するに至りません。つまり頼りないチンピラのままなのです。
実はどっかで「この子は澤村ハルトという名前だけど、誰かの子でそれを責任感で育てているはず」という期待=澤村遙は産んでないと期待していたのですが、それが単なる淡い期待だったと突き落とされる。龍が如くの1作目 2005年から10年以上も「遙」を見てきた私(達)からすると、「なんでこんな良い子がこんなことに」というやるせない親心が芽生えてしまうわけです。
が、私が思うに、遙が勇太とくっついてしまったのは、そういう境遇や環境に追い込んでしまったのは桐生自身であると、自ら自覚し、結局は存在を消すことになるというエンディングに繋がるのかなと。3年間ムショに入る事で、世間の目を遠ざけたと思っていたが、実はそれが自分が遙と向き合わなかった為であり、それ故、遙はつらい境遇に追い込まれ、ぼろぼろになり、本来親代わりの桐生ちゃんが救わなければならなかった部分が無かった為に、チンピラ勇太の誘いにも断れなくなった(のではないかと)。結局、それは桐生ちゃんが「親(代わり)」として欠けている部分であると認識させる為のストーリーだと思うのです。
更に、自分は正義を貫き続け、なんら後ろめたい事はしていないものの、周りは”常に勢力争いでジョーカーとして動く四代目のレジェンド”をほっておかない。当然その周囲の人々が巻き込まれる。いままでは遙一人を守っていれば良かったが、守るべき・守りたい人々が増えていき、自分の生き様を貫いていくにはあまりにも影響力が大きくなってしまった。そう実感し・決意したのが龍が如く6のエンディングなのでしょう。
しかしそれをいつも正面から打破してきたのが桐生一馬であり、桐生ちゃんの良さでもあったのですが、エンディングを見て思うのは「桐生ちゃんも年取ったな」と。
キャストの面々は素晴らしい個性
広瀬の親分を演じている北野武が良い味出してる。ボケてるようで核心をついたりして、北野武の性格や言動に合わせてシナリオを書いたんじゃないかってぐらいしっくりしている。じじいなのに実は尾道随一のヒットマンなのだが、死に際が・・・泣ける。チンピラだった自分を巌見兵三が見いだし、親と慕い、次第にヒットマンとして育てられ、尾道の秘密を知る人々を全て殺すという役割に、ジレンマを抱えて生きる。こんな狭い町で生きる術はこれしかないという極道の世界感をゲームで感じられるのは本当に凄いなと。北野武に「バカヤロウ」と言われただけでなんとなく嬉しい自分がいた。
そして意外と言っては失礼だけど、宮迫博之演じる南雲が素晴らしいスパイスになっていた。最初はチンピラ、そしてその後もチンピラなんだけど、下っ端でも侠気が溢れてて、桐生(私)も認める漢を見せつける。清美ママからみかじめ料を取らないあたりはかっこよすぎです。また南雲は親を殺されたところを広瀬に拾われて育つ過去を持つが、その親殺しは広瀬だった事を知る。だがそのヒットマン広瀬が尾道の秘密を知ってしまった南雲を「こいつだけはいかん」とをかばって死んだとき、「わしは・・・おやっさん(広瀬)の為に泣いてもええんじゃな?」というとこで私は号泣でした。複雑な人間関係、そしてまさか宮迫さんに泣かされるとは思わなかった。
染谷も最初はラスボス感があったものの、次第に桐生とお互いに認め合っていく雰囲気を持つ。が、菅井に人質を取られた染谷に自決しろと言われ、即決で自決する。壮絶な死の間際、南雲に清美ママとの子供を託す生き様には圧倒される。
ストーリーに関しては、いろいろ言われるところがあるが、事前のネタバレを見たりしなければ、かなり驚きや感動があり、個人的には賛否両論の否が多いというのはちょっと不思議。でもこのシリーズは期待値が大きすぎのでしょう。
親子がテーマの今回、子持ちには凄く響いた
遙が勇太と・・・という点、やはり納得してない私。ですが、子持ちの親(特に娘を持っている方)としてはこういう現実はあり得るわけです。ゲームだから登場人物がハッピーエンドなはずというお花畑な思い込みをリアルな世界に引き戻すことで、「親として考えさせられる」。エンディングを見て数日経って、こういう考えさせられるってのは凄い余韻だなと感じている。
桐生が勇太をボコボコにするわけですが、勇太のふがいなさ、やるせない自分への怒りを清算しているようで、「親になってみた今だからこそわかる」怒り。自分の娘に彼氏ができてチャラい兄ちゃん連れてきたらと自己投影してしまった。そんなとききっと気持ち的には桐生ちゃん同様ボコボコにしたいものの、現実はできないわけで。そういった切ない思いや、辛さ、苦しさのようなものは、子を持つ親ならこの龍が如く6のストーリーが身に染みるのだと思う。
勇太とジミーと父のロウ、広瀬の親分と巌見兵三、染谷と清美ママの子供愛、広瀬一家の南雲や松永と広瀬の関係、そして桐生が弟子とも息子とも感じている大悟。それぞれが抱えているジレンマであったり、関係性、やるせない想い、そして有り体に言うと愛情。こういうことって、「親になったことがある人だからこそ分かる」ものだと思う。もっと話し合えば良かったと後悔する親、言わなくてもあいつは分かってくると思っていた自分。恐らくはそういう体験が無い(少ない)方だと、この龍が如く6のストーリーの”考えさせられる”体験があまりしっくりこないのだと思ってしまう。でもこれは仕方が無い。分かってよと言って分かるものではないのだから。桐生の最後の生き様に自分を投影できないから、この終わり方はどうなのかと思うのでしょう。
続編は無いが続編を期待
ただ。ただですよ。一つだけ注文を付けるなら、勇太と遙のストーリーはもうちょっとだけ掘り下げて欲しかった。二人がどう出会ったかの感情面が全く無いストーリーなので、この二人には全く感情移入ができなかったのです。私はラスボスが小物感があってもいいんです。ちゃんとストーリーが繋がっていれば補完して感情移入ができるので。
ですが、この二人はほぼ話しが無い。ただ遙の事を嗅ぎまわっていたルポライターを勇太がぶん殴っていたという描写だけ。
桐生一馬は出てこないかもしれないが、ここをしっかり掘り下げた次回作を是非作って頂きたい。せめて「お互い惹かれあっていた」ぐらいはないと納得できないというただそれだけの理由ですが。そうじゃないと沖縄・あさがおでの新婚(?)生活も厳しいものになりそうなので。
と、ここまで龍が如く6の感想をネタバレまくりで書きましたが、自分は全体的に大満足です。120点ではないけど、100点です。
なんだかんだ思いながらも45時間ぐらいでクリア。決して薄いストーリーではありません。感じる所は人それぞれでしょうが、桐生一馬という半生に関ってきた過去を考えれば、こういう結末こそ桐生一馬なのかなと思います。こういう深く考えさせられるゲームというのは、洋ゲーではあまりなく、また国内でも無いので、唯一無二の存在のゲームシリーズでした。
しかしもう桐生一馬に会えないかと思うと、非常に寂しい。2005年から毎年というぐらい桐生一馬関連で生き様を共にしていたので、これっきりというのはそれだけでショックです。
桐生一馬之助でもいいので、スピンオフで是非復活させてほしいところです。
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