ぼろくその叩かれている「ラストオブアス2 」ですが、クリアしたので叩かれているストーリーについての感想です。
クリア後レビューなのでこの後はネタバレ含みます。これからプレイしたい方は見ないように。
叩かれているのはポリコレとか同性愛とかを見せられて「んなもん見せるな」という面とストーリーだと思うのですが、前者はアメリカのゲームだし仕方ない。でもストーリーはそこまで叩かれるほどでは無かったです。
ただこのラストオブアス2 は、登場人物を理解する為の描写を全て与えてくれるわけではなく、この終わった世界の状況、エリー、ジョエル、アビーといったラスアス1~2のプレイアブルキャラの心情をプレイヤー自身が考え、推察をしていく事になる。そこを感じられるかで大きく評価が割れるのは間違いない作品です。
私的には絶賛とまではいきませんが、満足感というか「プレイして良かった」と思わせるゲームでした。
エリーは多感な世代
ラストオブアス2 のエリーは16歳から19歳と多感な大人になりつつある年齢。
ジョエルは命の恩人でありバディでもあり父親のような存在でもある。
ジョエルからギターを教えてもらい誕生日に博物館の場所を一緒に巡ったりと良好な関係です。
が、多感な年代の女性であり、 年齢的にも一人の大人として認めて欲しい年頃。
ラストオブアス1の最後で、ファイヤフライが抗体研究の代償としてエリーが死ぬ事になると判明し、ジョエルはファイヤフライ幹部を何人も殺してエリーを救ったわけです。そしてジョエルはまだ少女であったエリーに「たくさん抗体をもった人達がいたので、もう必要ない」と嘘をつきます。
私はその嘘も分かった上でエリーが納得したものだと思っていた。が、どうやら違ったよう(薄々感づいていたのだろうが)。
ラストオブアス2 ではそれをエリーが問いただし、ジョエルが真実を告白します。
エリーはそれに激怒し、「あたしに指一本触れないで」とジョエルとギクシャクし出す。
すれ違い
エリーはきっとこの殺伐とした世界で、明日死ぬかも知れないという状況の中、「生まれれてきた意味」「生きた証」を残したかったのだと思う。仲間も恋人(ディーナ:女性)もいるが、一歩外に出ればゾンビも人間の敵も居て、簡単に死んでしまう世界。
だからどうせ死ぬなら、人の役に立って死にたかった。世界を救う可能性があるならそうして欲しかったのだろう。だがジョエルは「ゾンビに対する恐らく唯一の抗体を持っているエリー」ではなく、「一人の女性であり娘のようなエリー」として生きて欲しかった。ここが最初のすれ違いの原点となっている。
復讐劇とは人間の汚さを表すもの
散々叩かれてる復讐劇ですが、私も正直前半ぐらいまでのプレイでは同意。
こんなん見たくなかったよと思った。
だが前作からの事を思い出すと、ラスアスとは「人間は汚い生き物である」という事を思い出した。
生きるか死ぬかの世界観の中で、裏切り、騙し、失望、そして復讐は茶飯事だ。ジョエルは娘を失い、ドラッグ/武器の密輸/略奪をしながら地べた這いずり回って生き延びていたわけで、もはや生気すら無くなっていた。だがそんなときエリーと娘だったサラを重ね合わせ、一緒に行動することで生きる意義を見つけて成長してきた。だから娘であるエリーがファイヤフライに引き渡せば死ぬと分かった時、迷わずファイヤフライを撃ち殺した。
アビーはそれによって親を殺されたわけで、ジョエルを探し出して復讐を果たす。
そしてその後、エリーがジョエルの復讐をする課程で元彼もその身重の奥さんも、親しい仲間も殺された。そして復讐にやってきたエリーと対峙して勝つが、エリーを殺さず立ち去る。
そしてその後、エリーがジョエルの復讐をする課程で元彼もその身重の奥さんも、親しい仲間も殺された。そして復讐にやってきたエリーと対峙して勝つが、エリーを殺さず立ち去る。
アビーは復讐の連鎖が無意味である事を悟ったのだろう。
こう書くとかっこいいが、アビーの感情を考えるとこれが簡単な決断ではないのはすぐに理解できる。
アビーには復讐の意味があり、エリーにもある。が、端から見れば復習の連鎖は愚かな行為で、それがプレイヤーにとって「イライラさせるストーリー」になっている。
だがそれでもアビーはジョエルを殺した事を後悔したそぶりを見せたし、後には普段は敵対していたレブ姉弟と仲間になることで、相手には相手の事情がありそのどちらにも 善悪では計れない正義があることを体で理解した。
だからエリーを許した。
これはプレイヤーも同じで、エリーにはエリーの、アビーにはアビーの立場を経験させることで、前作の主人公であるジョエルを殺したアビーはただの殺戮者では無いことを”理解させる”為だ。
エリーは親同然のジョエルをアビーに目の前で撲殺された。 その怒りにまかせて復讐の旅に出るわけですが、アビーは軍隊所属であり完敗し、ディーナ(と生まれた子)とのんびり牧場生活をする。が、そうした平和な生活を捨て、エリーは再び復讐を決意する。
だが2度目のトライとなるアビーへの復讐劇に臨むエリーは、1度目のような自暴自棄とも言える 「ジョエルの弔いだ」 といった猪突さではなく、「一人の人間として、心にケリを付けなくてはならない」と決意したもののように感じた。
そしてボロボロになってアビーとの戦いに勝ち(と言ってもグタグタだが)、遂にアビーを許す。許すというか復讐などどうでも良くなったのだろう。
これは広い目で見れば現実世界でも戦争の火種は大抵は報復/復讐の連鎖であり、どちらの側にも一定の正義があることに気付けよという制作者からのメッセージなのかなと思う。
ラスアス2はエリーとアビーの心の成長過程を体験するもの
エリーはジョエルがなぜ世界平和の可能性を捨て、自分を救う決断をしたのかを理解できなかった。ただそれをじっくり理解していく機会を永遠にアビーに奪われた。
エンディングの回顧でジョエルが
「もしも神様がもう一度チャンスをくれたとしても俺はきっと同じことをする」
と言ったのに対して、エリーは「一生そのことは許せないと思う。でも許したいとは思ってる」
と切ない目をしながら語ったように、恐らくジョエルを許す気でいた。が許す機会が無くなり、感謝や謝罪が出来なくなった。
エリーの怒りはそれに対する後悔だ。
エリーの怒りはそれに対する後悔だ。
アビーは瀕死のレブを何が何でも守り、それを救うためにエリーに懇願すらした。
憎いはずの相手が、ジョエルに重なり、ジョエルがどうして自分を守ろうとしたのか分かったのだと思う。そして自分の醜さも知った。
ここまで無駄とも間違いと思えるエリーの行動は、長い時間が掛かったが、それによりジョエルが理解できた。
だからアビーと闘う理由が無くなったのだろう。
だからアビーと闘う理由が無くなったのだろう。
やっと理解できた自分が牧場の家に戻ってきた時、ディーナはおらず一人きりになる。
理解の代償は大きかったが、エリーはギターを弾きながらある意味達観してジョエルに思いを馳せている。
エンディングを見ながら、これはエリーやアビーの心の成長を理解するゲームだとプレイヤーが気付くのを目的としているんだろうなと感じた。
人間くささのドラマ
ゲーム自体はアクションが派手だったり、ドンパチもあるし、ゾンビも出る。
だけどこれはアビーという前作にないキャラをプレイはしたものの、間違いなくエリーとジョエルの物語だと言える。
そしてかなり人間くさいドラマだ。
だけどこれはアビーという前作にないキャラをプレイはしたものの、間違いなくエリーとジョエルの物語だと言える。
そしてかなり人間くさいドラマだ。
アクションゲームなのにひたすら「どうしてなのか?」を考えさせられるストーリーだし、エリーは復讐の為にかなりの人を殺してしまう。これは「正しい行為なのか?」とプレイしながら悶々としてしまう。だが逆に”そうしなければ自分が死ぬだけ”の世界でもある。
我々が生きている倫理観で「殺しすぎだ」と思うのは簡単だが、ラストオブアス2 の世界に入り込めば入り込むほど、敵対する人間を殺すことは生きる事に直結する。だからこのギャップが受け入れられない人もいるだろう。
でもそれこそがノーティドッグの狙いだろうし、そうした事をとことん考えないと楽しめない。考えない人には向かないので、絶対に万人受けしない。だからレビューは大荒れだし、実際私の大学生の息子も数時間プレイした後「クソゲーやん」と言って止めてしまった。
何も考えなくても、全てを与えてくれるハリウッド映画のような爽快感を求めているとラストオブアス2 は確かにクソゲーだ。
だが、台詞の行間を読み、キャラクターの表情や仕草、経験や成長による思考の変化などを感じ、推理できる人なら(そしてそれを楽しめるなら)、私はラストオブアス2 は決してつまらないゲームではないと思う。
手放しで最高傑作とは言えない(実際私は2週目をプレイする気は無い)けど、クソゲーでは無く、人を選ぶが良作だと思う。
個人的にはゲーム中や終わった後、「どういうことなんだろう?」「なぜそうしたのだろう?」と疑問が出て、寝る前とかも悶々と想像をしていくゲームや映画は大好きで、そういう人はラストオブアス2 もアリでしょうね。